インタビュー 菅原 麻衣

PLAYWORKリノアスタッフ 看護師
三重県出身。日本体育大学を卒業後、電材卸会社に就職。29 歳の時、看護師の資格を取得。神奈川県立こども医療センターや透析クリニックでの勤務経験を経て、次男が 1 歳 11 ヶ月の時に辻堂リノアの勤務をスタート。美味しいものを食べながらおしゃべりする時間が何より幸せ。

出産を経て見つめ直した看護師という仕事

 第三子・四子の妊娠は双子でした。里帰り先の病院を初めて受診する予定だった日の前夜、突然の出血があったため病院へ向かうと「すぐに帝王切開しないと赤ちゃんの命が危ない」と言われました。標準的な妊娠期間は40週ですが、その時はまだ27週に入ったばかりでした。一人の看護師さんが「ずっとそばにいますからね」と、不安でいっぱいの私の手を握ってくれました。
 生まれてきた長女は次第に状態が安定していきましたが、次女は日に日に悪化し、一週間後に亡くなりました。病室を回ってくる看護師さんたちが、涙の止まらない私の背中をさすりながら話を聞いてくれたり、夜中に搾乳しているとハーブティーを持って来てくださる方もいました。ただ手を握ってもらえることや悲しみに寄り添ってもらえることで、こんなに心が救われるのかと思いました。新人の方からベテランの方まで、様々な立場の看護師さんが私の出産に関わってくださり、知識や技術だけでは測れない、それぞれの人に大切な役割があるんだと感じていました。

家族全員との写真

双子の出産の経験で感じたことをまた自分の看護に生かして行きたいと、長女が8ヶ月になった頃、リノアへ復職することになりました。出産後の復職というと一般的には保育園探しから始まりますが、リノアは子連れ出勤が可能なので、とてもありがたく思っています。
 長男と次男はリノアに来ると、リノアの子どもたちとたくさん喧嘩をします。リノアを初めて訪問したとき、代表の横川さんと大郷さんが「障がいのある子どもが大人になった時、手を貸すのは私たちではなく今の子どもたちです。だから子どもたちが一緒に遊んで、お互いを知る機会が必要で、ここはそういう場所です。」と話してくれました。息子たちの様子を見ていると、その理念の通り、リノアの子どもたちとの関わり方を自然と身につけているように思います。
 誰かが病気や怪我で元気をなくしている時に、近くで支える看護師という仕事を誇りに思っています。 次女を亡くした経験から、生きている今を思い切り楽しみたいと思っています。私には、私にしかできない役割がきっとあると信じています。(取材:若林)

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