「遊びリパーク リノア(辻堂)」利用者の母
夫の実家がある熊本で出産しました。予定通りに陣痛が始まったため病院に向かったのですが、その後、赤ちゃんの心拍が下がり、緊急帝王切開により仮死状態で生まれたのが彩乃です。私は何が起こったのか、全く状況を理解できませんでした。彩乃が生まれて数時間が経過し、病室にいた私の元へ母が来てくれたとき、初めて「おめでとう」と言われたことが強く印象に残っています。
娘は低酸素脳症と診断されました。脳に十分な酸素が供給されず、飲み込む力もありませんでした。分娩に関連して発症した重度の脳性まひの子どもとその家族の経済的負担を補償する「産科医療補償制度」に加入していたため、後に審査を経て補償金を受け取ることができたのは幸いでした。
母子ともに約二ヶ月間病院に入院し、自宅に戻ってからの生活に備えて、痰の吸引や鼻からのチューブによる経管栄養といった医療的ケアを学びました。当時は吸引が20、30分ごとに必要で、夜はほとんど眠れない日々が続きました。今後の生活を考え、出産後に戻る予定だった神奈川県立こども医療センターに問い合わせたところ、新生児から診てもらえるとのことだったので、熊本から藤沢に戻ることを決めました。
藤沢に戻ってからも孤独感と疲労で、気持ちが落ち込むことが多い毎日でした。家族に障がいのある子がいる方の声以外は、他人の意見を受け入れることが難しい時期でもありました。
彩乃が三歳の時に、「児童発達支援」の利用を開始しました。同じように障がいのある子の先輩お母さんたちが声をかけてくれたり、他にもショートステイのサービスを利用するようになったりする中で、「子どもに障がいがなくても、親は同じように悩むのではないか」「今のままで、こんなふうに暮らしていけばいいんだ」と少しずつ気持ちが変化していきました。
現在は、「かながわ県医療的ケア児者家族会〜つなぐ〜」のメンバーとして活動しています。この集まりでは、障がいのある子がいるご家族に、私たち先輩家族の経験を伝えています。情報交換会には、行政や福祉事業所にも参加してもらっています。例えば、学校に入学してもすぐに子どもを学校に預けられるわけではなく、付き添いは家族にとって負担ではありますが、結果として子どものことをしっかり知ってもらい、安心して預けられるようになるというメリットがあることなどをお伝えしています。
母親としての私と彩乃との関係、そして私個人の生き方は分けて考えています。彩乃が学校やデイサービスで関わっている先生やスタッフの方々との関係は、彩乃自身が築いてきたものです。私は私で、彩乃と共に歩んできた生活の中で感じたことや学んできたことを活かして、障がいのある子どもがいるご家族の相談や支援に取り組んでいきたいと考えています。